何かを「消費」するだけの人生は、クソつまらない
- 2018.08.06
- 生き方・考え方

シモンです。
少し前ですが、僕が普段から読んでるBooks&Appsというメディアに、こんな記事が投稿されていました。
心に残る人生の喜びは、きっと「つくる」ことでしか感じられない
たとえば友達とディズニーランドに行ったら、楽しいと感じるだろう。
楽しさはお金を払えば手軽に手に入れることができる。
消費は手軽に楽しさを享受することができるけれど、心に残る人生の喜びは、きっと「つくる」ことでしか感じられないのだ。
Books&Appsより引用
この記事に非常に共感したので、自分の考えも併せて書いておこうと思います。
「消費することが楽しい」という人はつまらない
自分は社会人のコミュニティを運営しているので、社外の色々な人と交流する機会があります。
そこで会う人たちに、
「これから人生で何をしていきたいか」
ということを尋ねると、
「会社の中でこういう事業に取り組んでみたい」「こういう形で世の中に貢献したい」といった、社会に何かを生み出す = 生産側の意見と、
「仕事はできるだけ減らしてゆっくりしたい」「時間があれば海外旅行にでも行きたい」といった、社会から何かを受け取る = 消費側の意見に分かれます。
価値観は人それぞれで、どちらの方が幸せだ!!と断言するつもりはありません。
ただ、僕個人として魅力的だと思うのは、圧倒的に生産側の人たちです。
なぜなら、生産側の人たちは、どんなことに人生を捧げてきたかを語れる人だから。
自分は、そのような人生の根本的な部分を語れる人といた方が楽しいし、そのような人になりたいです。
さらに言ってしまえば、その場でやりたいことを消費しているだけの人は、年齢を重ねれば重ねるほど、つまらない人間になっていくと思います。
人生の充実感は、生産側に回らないと得られない
もちろん、消費すること自体を否定する訳ではなく、ある程度の消費も、人生の中で必要なことだとは思います。
しかし、消費しているだけの人生が、充実していると言えるでしょうか?
例えば、一生働かなくても良いほどのお金が手に入り、世界一周、夢の豪邸、美女を侍らせ、好きなだけ遊んで暮らす・・・
マンガでありそうな話ですが、この生活が楽しいと思いますか?
少なくとも、僕は思わないです。
世界一周も、美女を侍らすのも、豪邸に住むのも、それ自体には興味がありますが、消費をひたすら続ける人生には全く興味がありません。
内容が何であれ、消費が私たちの社会的欲求を満たすことは永遠にありません。
僕自身、このブログや、運営している社会人コミュニティ、会社員の仕事を含めて「生産する」ことで人生の時間を埋め尽くしたいと思っています。
自分の行動が誰かに喜んでもらえることが嬉しいし、目標が実現した時の達成感は、生産側に回らないと得られないものだからです。
誰でも、すぐに生産側に回ることができる
「生産側に回れと言われても、自分には何もできない」と思っている人も多いと思います。
でも、僕は誰でも生産側になれると思っています。
消費をちょっと工夫すれば良いだけです。
例えば、漫画が好きなら、そのことについてブログを書いたり、オフ会を開催したり、自分で漫画を書いてnoteに投稿したり・・
どんなことでも、好きなことさえあれば、それを仕事にすることができます。
消費するという行為は、一時的には楽しいものですが、それを重ねているだけでは人生には何も残らないと思います。
自分の人生を振り返ったとき「自分は人生でこれをやってきた」と語れるようなものがあれば、きっと良い人生だった、と思えるのではないでしょうか。
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