何かを「消費」するだけの人生は、クソつまらない

何かを「消費」するだけの人生は、クソつまらない
Pocket

シモンです。

少し前ですが、僕が普段から読んでるBooks&Appsというメディアに、こんな記事が投稿されていました。

心に残る人生の喜びは、きっと「つくる」ことでしか感じられない

かつて、「楽しさ」と「喜び」の違いを教えてもらったことがある。楽しさはお金で買えるものだ。

たとえば友達とディズニーランドに行ったら、楽しいと感じるだろう。

楽しさはお金を払えば手軽に手に入れることができる。

一方、喜びは一生懸命取り組んだあとに感じるもので、お金で手軽に買うことはできない、時間をかけて努力した結果味わえるものだと。長い目で見て人生を語れる人になるために、そして喜びを感じられるように、少しでもいいから生産し続けたい。

消費は手軽に楽しさを享受することができるけれど、心に残る人生の喜びは、きっと「つくる」ことでしか感じられないのだ。

Books&Appsより引用

この記事に非常に共感したので、自分の考えも併せて書いておこうと思います。

「消費することが楽しい」という人はつまらない

自分は社会人のコミュニティを運営しているので、社外の色々な人と交流する機会があります。

そこで会う人たちに、

これから人生で何をしていきたいか

ということを尋ねると、

「会社の中でこういう事業に取り組んでみたい」「こういう形で世の中に貢献したい」といった、社会に何かを生み出す = 生産側の意見と、

「仕事はできるだけ減らしてゆっくりしたい」「時間があれば海外旅行にでも行きたい」といった、社会から何かを受け取る = 消費側の意見に分かれます。

価値観は人それぞれで、どちらの方が幸せだ!!と断言するつもりはありません。

ただ、僕個人として魅力的だと思うのは、圧倒的に生産側の人たちです。

なぜなら、生産側の人たちは、どんなことに人生を捧げてきたかを語れる人だから。

自分は、そのような人生の根本的な部分を語れる人といた方が楽しいし、そのような人になりたいです。

さらに言ってしまえば、その場でやりたいことを消費しているだけの人は、年齢を重ねれば重ねるほど、つまらない人間になっていくと思います。

人生の充実感は、生産側に回らないと得られない

もちろん、消費すること自体を否定する訳ではなく、ある程度の消費も、人生の中で必要なことだとは思います。

しかし、消費しているだけの人生が、充実していると言えるでしょうか?

例えば、一生働かなくても良いほどのお金が手に入り、世界一周、夢の豪邸、美女を侍らせ、好きなだけ遊んで暮らす・・・

マンガでありそうな話ですが、この生活が楽しいと思いますか?

少なくとも、僕は思わないです。

世界一周も、美女を侍らすのも、豪邸に住むのも、それ自体には興味がありますが、消費をひたすら続ける人生には全く興味がありません。

内容が何であれ、消費が私たちの社会的欲求を満たすことは永遠にありません。

僕自身、このブログや、運営している社会人コミュニティ、会社員の仕事を含めて「生産する」ことで人生の時間を埋め尽くしたいと思っています。

自分の行動が誰かに喜んでもらえることが嬉しいし、目標が実現した時の達成感は、生産側に回らないと得られないものだからです。

誰でも、すぐに生産側に回ることができる

生産側に回れと言われても、自分には何もできない」と思っている人も多いと思います。

でも、僕は誰でも生産側になれると思っています。

消費をちょっと工夫すれば良いだけです。

例えば、漫画が好きなら、そのことについてブログを書いたり、オフ会を開催したり、自分で漫画を書いてnoteに投稿したり・・

どんなことでも、好きなことさえあれば、それを仕事にすることができます。

消費するという行為は、一時的には楽しいものですが、それを重ねているだけでは人生には何も残らないと思います。

自分の人生を振り返ったとき「自分は人生でこれをやってきた」と語れるようなものがあれば、きっと良い人生だった、と思えるのではないでしょうか。

Pocket